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スタッフ紹介

杉山則子

子供の頃の夢

子供のころからの夢は手芸店でお仕事をすること。

小学生の頃から近所の手芸店に入り浸り、お店の人に色々教えてもらったり、商品を眺めているだけでも幸せな子供でした。今思えばお店の方には気の毒なことをしたと思います。大した買物もしないのに延々といる子供を暖かく見守って下さったことに感謝しています。

手芸に夢中になった学生時代

中学高校時代は編み物や縫物にはまり、片っ端から色んなものを作っていました。アルバイトしてはちょっとずつ遠方の手芸店にまで進出して、色んなものを物色するのが楽しみでした。お友達へのプレゼントは殆どが手づくりでした。

そんな子供時代を過ごした私は大学受験で片っ端から家政科の被服専攻にお伺いを立て、当時何とか入れてくれたのが東京家政大学短期大学部被服コースでした。毎日の実習が猛烈に楽しく、説明してもらったところまでとっとと仕上げて、次の説明を真っ先に受けに行くのが楽しみでした。こんな楽しいことを2年で切り上げるなんてもったいないことができるはずもなく、短大卒業と同時に同大学の家政学部の2年に編入し、トータルで5年間も実技をみっちり教えていただきました。

恩師との出会い

この東京家政大学時代に手芸を教えて下さったのが故生田光子先生でした。色んな刺しゅうや編み物などを実習する課程の中でタティングレースを教えていただいたのです。当時の私はタティングレースはみんな知っている手芸のうちの一つでそんなに珍しいものだとは全く思っていませんでした。この頃に被服科で学べる専門科目については技術のみならず素材の構造やお手入れの仕方に至るまで総合的にきっちり学びました。それぞれの専門家である先生方に面倒を見ていただいたおかげで今の私があるのだと思います。

実務経験と北海道への移住

大学卒業後は何故か手芸店でおつとめする道は選ばず、東京にある洋紙卸売販売会社の仕入部でOL時代を過ごしました。商品を仕入れたり、管理したり、販売したりという感覚はこの頃に学ばせてもらったことがとても役立っています。そしてこの会社で今の夫と知り合い、ずっと東京で過ごす予定が夫の強い希望により、うっかり北海道に移住してしまったのが1995年のことでした。

手芸店勤務

北海道に移住後1998年にあいの里に自宅を構えてから近所の手芸店で働くようになりました。この手芸店の社長ご夫妻にお子さんがいなかったことや、ご自宅から店が離れていたことなどがあり、この社長ご夫妻が引退される頃に自分があとを引き継げたらいいなぁと漠然と考えて働いていました。しかし社長ご夫妻が引退するのはまだまだ先のことと思っていたところに、いきなりの撤退で予定より早く岐路に立たされてしまったのです。前店舗撤退のどさくさの中、いずれは自分で店を持ちたかったという気持ちを当時の社長ご夫妻や仕事仲間に相談したところ、当時の社長ご夫妻が不要の店舗用品を譲ってくれました。そして一緒に店をやってくれると言ってくれた仲間が今もシシカスで私を支えてくれています。この手芸店の開店準備段階から2004年に撤退するまで、北海道の手芸店勤務の経験を積ませていただきました。この頃に知り合った問屋さんや勤務していた店の社長ご夫妻にはあとりえシシカスの開業時には大変お世話になりました。

あとりえシシカスオープン

その後半年間の準備期間を経て2005年1月にあとりえシシカスをオープンしました。
開店当時からあとりえシシカスではタティングシャトルを在庫として置いていました。以前勤めていた店で、色んな手芸用品を扱っているのにタティングシャトルを在庫していないことが不思議でならなかったからです。実はこの頃にはタティングレースがかなりレアなことには気づいていたのですが、それは北海道だからかしら?と思っていたのです。シャトルを店頭に並べていると、これは何に使うの?と尋ねてくれるお客様はいらっしゃいましたが、使い方をわかって下さる方にはなかなか出会えませんでした。

運命の出会い

そして2006年の夏に運命の出会いがあったのです。
タティングレースを独学でされていたお客様があとりえシシカスにご来店されて、シャトルをお買上げ下さいました。その後そのお客様と一緒に勉強するのにインターネットでお仲間を募り、タティング勉強会が発足しました。タティングレース勉強会をブログ等で紹介させていただいたことが、その後のさまざまな出会いや転機に結びついています。

タティングレースを拡げるために

2007年にはタティングレース勉強会の初めての作品展を開催しました。

2008年には作品展の会場としてお世話になっている喫茶店手風琴さん(http://www7.ocn.ne.jp/~tefukin/)の御縁で、日本タティング協会のタティングレースの集い札幌開催のお手伝いをさせていただきました。それと同時に日本タティング協会に入会させていただきました。

2011年1月には、まさかの水落事件があり、タティングレース用品専門店としての道を選び現在に至ります。

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